2020年6月9日,富山県弁護士会の会長が声明を発表しました。
「富山県警察による違法捜査に抗議し再発防止を求める会長声明」
これは,富山市で今年5月にベトナム人技能実習生の死体が発見された事件で,その事件の被疑者(ベトナム人)を逮捕状なく逮捕(実質的逮捕)し取調べを行ったことについて,それが人権侵害であり令状主義に違反するとして抗議するという声明です。
久々にすごい事件が起こったので,それについて書いてみます。
1 任意同行と取調べの様子
事件の経過は以下のとおりでした(「」内は裁判所の認定や判断をそのまま引用しています)。
被疑者は,5月5日に死体遺棄の疑いで任意同行されましたが,それから6夜にわたり「連日,捜査官に監視されているホテルに宿泊し,そのホテルに捜査官が迎えに来て警察署に連れていかれ,長時間取調べを受け,休憩時間も常に捜査官が付近にいた上,またホテルに戻り監視されるという環境に置かれて」いました。
ホテルでは,警察官が被疑者の部屋の前に常に張り込んで被疑者の動静を監視しており,警察署ではおおむね午前中から夜間に至るまでの長時間にわたって取調べを行っていました。取調べ時に被疑者がトイレを使用した際には,ドアの高窓から覗いて様子を見ることもあったということです。
2 「死体遺棄」での勾留決定・勾留延長決定の取消し
5月11日,それまでの取調べ等で得られた証拠に基づき,死体遺棄の嫌疑で被疑者は逮捕されます。13日には勾留され,22日には勾留が延長されました。
弁護人は,上記1のような捜査方法が違法であると主張し,被疑者の勾留決定と勾留延長決定を取り消すよう求め,富山地裁に準抗告を申し立てました(26日)。
これに対し裁判所は,上記のような事実認定をして,「任意同行を拒もうと思えば拒むことができ,途中から帰ろうと思えば帰ることができた状況にあったとは到底いえず,かかる状況は実質的に逮捕と同視し得る。」と述べました。そして,実質的な逮捕の時点から計算すると勾留請求には制限時間不遵守(※)の重大な違法があるから被疑者の勾留自体が違法である(よってその後の勾留延長も違法である)として,勾留決定と勾留期間延長決定を取り消したのです(26日)。
※刑事訴訟法は,被疑者を逮捕した場合は48時間以内に検察官に送致(送致しない場合は釈放)しなければならない,送致を受けた検察官は24時間以内(逮捕からは72時間以内)に勾留請求(その時間内に勾留請求しない場合は釈放)しなければならない,と規定しています(203条,205条)。
今回の事件で裁判所は,5月5日に(実質的に)逮捕したと評価されるため,その逮捕から48時間以内の検察官送致がなく,72時間以内の勾留請求もないことを,制限時間不遵守と評価したのです。
以上の事実経過はそれだけでも大変驚くべき事態ですが,今回の問題はこれで終わりません。ここまでは「死体遺棄」事件の勾留の話。その後,本丸である「殺人」事件の勾留についてもう一波乱起きるのです。
3 「殺人」での勾留も認められず
死体遺棄の勾留が取り消されたため,被疑者の身体を拘束する根拠がなくなりました。
そこで警察は,今度は殺人の疑いで逮捕状を取り,被疑者を逮捕します(27日)。そして検察官が殺人の事実で勾留を請求したのです(29日)。
ところが富山簡裁はこの勾留請求を却下しました(却下の理由は分かりませんが,正しい判断です)。
勾留請求が却下されたので,被疑者の身体を拘束する根拠が再びなくなりました。そこで検察官は,勾留請求却下を取り消すよう求め,富山地裁に準抗告を申し立てました。
これに対し富山地裁は,以下のように述べました。
①5月5日から10日までの取調べについては,「専ら死体遺棄の被疑事実について行われたとはいえず,同月5日の実質的な逮捕の被疑事実には,本件被疑事実である殺人も含まれていた」
②そこで,殺人の被疑事実についても「遅くとも,同月5日の聴取後にホテルで被疑者の監視を始めた時点から,実質的には逮捕状によらない違法な逮捕がされた」。
③5月27日の令状に基づく逮捕は,「先行する手続の違法性が重大であることからすれば,司法の廉潔性や違法捜査抑止の観点に照らして,本件(注:殺人の)被疑事実による逮捕は違法な再逮捕として許されないと言わざるを得ない。」
④よって,殺人の被疑事実での勾留請求には制限時間不遵守の重大な違法がある。
富山地裁の判断の重要ポイントは,上記①の部分です。この判断が出発となってはじめて,②→③→④の論理が展開されていくからです。
弁護士会会長声明には詳細は載っていませんが,事件を担当する弁護人から聞いた話では,裁判所は,当時の取調べの内容や経過等を詳しく挙げ,きっちりと根拠を指摘した上で①の判断をしているそうです。
こうして富山地裁は,検察官の準抗告を棄却しました(30日)。
殺人という重大事件で被疑者が勾留されないということは普通はありません。
今回の事態は異常事態なのです。警察のやったことが「異常」だったのです。
4 逮捕状なき逮捕の重大さ
警察は,被疑者をホテルに6泊もさせ,その部屋を監視し,ホテルと警察署の往復は警察が同伴し,朝から晩まで取調べ,トイレも監視しました。裁判所はこのような捜査手法を「実質的に逮捕と同視し得る」と評し,逮捕から勾留請求までの時間制限に違反したことを「制限時間不遵守の重大な違法」と表現しました。
「重大な違法」という言葉からは,裁判所の憤りと強い意志を感じます。
しかし,上記の表現は実は,今回の問題の本質を表していません(※)。
この問題の本質は「制限時間不遵守」ではなく,基本的人権の侵害と憲法違反にあるからです。
※裁判所は勾留を取り消すかどうかを決定するために必要な判断しかしませんので,本質に踏み込まないことはまあ,あり得ることとは思います。
日本国憲法33条は,「何人も,現行犯として逮捕される場合を除いては,権限を有する司法官憲が発し,且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ,逮捕されない。」と規定しています。逮捕するには逮捕状が必要,ということです。同条は,「不法な逮捕からの自由」という基本的人権と,「令状主義」という原則を保障した規定です。
今回の事件は要するに「逮捕状なく被疑者を逮捕した」というものですから,警察が憲法33条に違反したのです。
警察が被疑者の不当な逮捕からの自由を侵害したのです。
警察が令状主義を無視したのです。
5 外国人に対する差別的な意識を感じる事件
さらに,今回の事件は,外国人に対する差別の臭いがします。
被疑者は日本語も日本の刑事司法制度も分からないベトナム人です。警察の行っていることが違法かどうか,日本の常識からしてそれが不当なのかどうか,分からなかったはずです。
また,逮捕された被疑者は無料で一回「当番弁護士」を呼んでアドバイスを受けることができますし,勾留されると国選弁護人をつけることができます。しかし本件では,名目上は「任意」同行ということになっていますから,被疑者には当番弁護の制度も紹介されていませんし,国選弁護人をつける機会も与えられませんでした。
私には,警察がこのベトナム人被疑者の無知につけ込んで,都合よくことを運んだように見えます。
6 「昭和」時代の遺物がまだのこっていた驚き
被疑者をホテルに宿泊させ,逃げないように監視しながら,警察署とホテルを往復して取調べを行うやりかたは,昭和時代の歴史的な事件としてよく聞きます。
このようなやり方が違法ではないかと争われた有名な最高裁決定として,「高輪グリーンマンション事件」があります(1984年2月29日)。司法試験を受けた人であれば全員が知っている頻出判例です。
その事件では,被疑者をホテルに4泊させています。他の事情もいろいろあるので単純比較はできませんが,このときの決定では,裁判官3人が違法ではないとし2人が違法であるとして,判断が分かれました(多数意見により違法ではないとの結論)。
1984年(昭和59年)。今から36年前です。今よりも格段に自白が偏重され,被疑者の国選弁護制度もなく,取調べの録音・録画制度もない時代です。その当時でさえ,5分の2の裁判官が違法としたような捜査方法です。
そのような前時代の遺物のような捜査方法をいまだにとっていたとは,驚きでした。他の弁護士も驚いたに違いありません。
7 自戒をこめて
富山県警には,今回のような捜査方法を二度と取らないよう,願います。
また,弁護士としては,富山には被疑者の基本的人権を侵害する遺物捜査がまだ残っているということを肝に銘じ,弁護に当たろうと思います。